
Our story
まるでお酒のようでいて、
ノンアルコール。

日本の風土と音楽に重ね再解釈した、
ちょっと不思議なクラフト飲料。
「Musicale」について
「Musicale」は、300年前に英国で誕生し“ジンジャービア”と呼ばれてきた発酵飲料を、日本の風土と音楽に重ねて再解釈した、ちょっと不思議なクラフトジンジャーエールです。
本製品は、音楽アルバム『Punctum Visus -視角-』から着想を得て生まれました。
なぜ音楽と飲料がコラボレーションを?
デジタル配信が主流となった音楽の世界では、楽曲の収益はごくわずか。そのため多くのミュージシャンがTシャツなどの物販で制作費を補っていますが、それらの多くが海外生産であることや、過度な「推し活」消費を促すような構造に、違和感を抱いてきました。 そこで Point.LLC では、音楽と独立した商品でありながら、ちいさな 一次産業と地域経済の支援につなげられる 、持続可能な形で循環できるものを作ろうと考えました。
2024年6月25日、渋谷公園通りクラシックスを舞台に、台湾の気鋭サックス奏者・謝明諺のジャパン・ツアー最終日のライヴ・コンサートが繰り広げられた。迎えた日本勢はドラマーの山崎比呂志、ギタリストの大友良英、ベーシストの須川崇志の3人。この4人が共演するのは初めてだ。そしてそれぞれに異なる、唯一無二のバックグラウンドを持っている。
謝明諺は1981年生まれ。20代半ばでベルギーのブリュッセル王立音楽院へと留学し、2011年の帰国後、台湾を拠点に活動を本格化させた。1980年代後半の民主化以降もフリーフォームのジャズの実践がほとんど存在しなかったという台湾において、その領域のパイオニア的存在の一人でもある。近年は日本との関わりも深く、ドラマーの豊住芳三郎やピアニストのスガダイロー、ギタリストの市野元彦らとそれぞれアルバムも制作している。一方、日本フリージャズのパイオニア的存在の一人が山崎比呂志だ。1940年生まれの山崎は1960年代初頭、高柳昌行や金井英人らが中心となって設立した新世紀音楽研究所に参加。銀巴里などを拠点に先進的な実験を繰り広げた。研究所解散後も高柳との関係は続き、独自の方法論でノイズ/フリーを追求したニュー・ディレクション・ユニットや、トリスターノ派に範を取ったセカンド・コンセプト、さらにアルバート・アイラーを取っ掛かりにギターによるフリージャズに挑んだアングリー・ウェーブスでも屋台骨となってきた。その高柳昌行を師に持つのが1959年生まれの大友良英である。1990年代のGROUN-ZEROやゼロ年代のONJO、Sachiko MとのFilament、あるいは展示作品、さらに映画やドラマの劇伴等々、広大な領域で膨大な数の仕事をこなしてきた大友は、即興/ノイズ/実験音楽の分野におけるアジア圏のミュージシャンとの交流を推し進めてきたキーパーソンでもある。なお、山崎と大友はデュオ・ライヴ盤『Live in Europe 2016』を2020年にリリースしている。そして須川崇志は謝明諺と同世代の1982年生まれ。やはり20代半ばで米バークリー音楽大学を卒業し、一時はニューヨークを拠点に活動、2008年に帰国後は辛島文雄や日野皓正らのバンドに参加。テン年代を通じて日本ジャズ界の新しい潮流の一躍を担い、アーロン・チューライや吉本章紘ら同世代から石若駿ら一回り下の世代までと共演を重ねてきた。
山崎比呂志、大友良英、須川崇志の3人は、2023年12月27日、新宿ピットインでの大友による年末4デイズ公演の一つとして行われた、同年に他界したフリージャズの巨匠ペーター・ブロッツマンに捧げたコンサートの一員として共演している。それから約半年後、謝明諺を迎えてこの4人の人生が初めてライヴの場で交差することになった。そこに観客の一人として「交差」したわたしはライヴを観た印象を終演後、次のように書き留めた。
「曲者揃いの4人のミュージシャンが楽器の個性をぶつけ合う場面もあれば、どの音を誰が発しているのかわからなくなるような匿名的場面もあった。あるいはフリージャズ的に熱気を帯びることがある一方で、ドローン・ミュージックのように持続音が主体となることもあった。音を聴くだけでは想像し難いだろう光景だった。山崎比呂志がドラムセットのほかに笛を吹いたり、須川崇志がコントラバスのほかに笛や打楽器類を用いたりもしており、しかし多楽器主義的に様々な楽器を扱うのではなく、あくまでもドラムやベースという楽器が演奏の軸としてありながら、自然とその技術の外でも演奏するのがユニークだと感じた。そうしたなかこの日とりわけ印象深かったのは後半セットの中盤、謝明諺がテナーからソプラノに持ち替え、空間を意識するようにソプラノを上下左右振り回しながら音を発し、まるでレスリースピーカーのようなトレモロ効果を生んでいたのだが、ここに大友良英のギター・フィードバックが重なった場面だった。ギター・フィードバックとマルチフォニックなソプラノサックスが重なることによって、バグパイプを思わせる驚くべき音が生まれていたのだ。なんと形容したらいいかわからないが、アルバート・アイラーの『Masonic Inborn Part 1』のような雰囲気と言えばいいだろうか。リズム隊も相俟って物凄いことになっていたのである。さらにその後、終盤では、謝明諺がテナーでおもむろに『Lonely Woman』を吹き始め、千変万化する四者の即興が着地点を得て、ものの見事に締め括られた。テナーとソプラノを駆使して歌うような旋律から激しい叫び、そして音響的アプローチまで聴かせる謝明諺の卓抜さもあらためて感じられた一夜だった」

さて、一夜限りのセッションとして行われたこの演奏が、このたびライヴ盤『Punctum Visus - 視角 -』として音源化されることになった。
収録内容は8つのトラックに分かれているが、「Punctum Visus #1〜#4」が前半セット、「視角 #1〜#4」が後半セットであり、それぞれひと連なりの演奏がそのままドキュメントされている。各トラックは演奏内容の流れに応じて適宜切り分けられているものの、楽曲ではなくあくまでもタイムスタンプのようなものと捉えるのが適切だろう。生演奏と録音物は、たとえドキュメントとしての性格が強かったとしても、基本的には別物である。生演奏で感涙しても録音物だと色褪せてしまうことも少なくない。反対に生演奏では心揺さぶられなかったはずが、録音物だといたく刺激的なこともあるだろう。だがあらためて聴き返して感じたことは、生演奏で強く印象に残った場面が、ありありと、より強烈に、さらなる驚きと共に耳に飛び込んできたということだった。とりわけ「視角 #2」の中盤以降——ギターのフィードバック・ノイズと地鳴りのようなコントラバス、大地を吹き抜ける風雨にも似たパーカッションが場を満たすなか、突如としてコーラスのエフェクトがかかったような不可思議な音色のサックスが鳴り響く。そしてサックスは空間を移動するかのごとき音像で迫り、次第に4人の演奏は溶け合うように一体となって壮大な音の場を構築していった。まさしく驚くべき音だ。しかも先ほどまでサックスの響きとして聴いていたはずの音がいつの間にかギターの響きに置き換わっている。まるで魔法にかけられたかのようだ。いったいなぜこのような音が創出されたのか、そしてなぜその音がこれほど耳を惹きつけて止まないのか、繰り返し聴くたびにむしろ謎は深まっていくばかりなのである。

アルバム・タイトルの「Punctum Visus」は、「Point of View」すなわち「視点」のラテン語表記だという。タイトルに含まれる「視角」もほぼ同様の意味と捉えていいだろう。だがラテン語表記とすることによって、ここにはさらに別の意味合いが生じるように思う。ロラン・バルトが『明るい部屋』*で提起した「プンクトゥム(Punctum)」概念である。バルトは写真の経験には二つの要素があると指摘した。一つは「ストゥディウム(一般的関心)」であり、報道写真やポルノ写真に代表される、あらかじめ決められた文化的コードのもと写真家の意図を受け取るような経験である。他方で「刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目」を意味する「プンクトゥム」は「ストゥディウム」を破壊しにやってくるものであり、文化的コードに回収されない「細部」が、鑑賞者を刺し貫くような経験である、と。写真と同様に無意識的なものが入り込む録音物を聴くわたしを捉えた「驚くべき音」は、まさしくこのような「プンクトゥム」に近い経験であったように思えてならない。文化的コードという意味では、探り合いから始まって徐々に盛り上がっていくという全体の流れであったり、その締め括りに「Lonely Woman」の演奏——4人がこの曲を演奏することには単にオーネット・コールマンの楽曲を取り上げる以上の重層化された意味合いがある——が置かれることであったり、そうしたことの「意図」を解釈する方が一般的な関心と呼べるだろう。だがそうではない「細部」がどうしようもなくわたしに「小さな裂け目」を穿ったのだ。
実際のところは、フリー・インプロヴィゼーションそれ自体が「ストゥディウム(一般的関心)」というより「プンクトゥム」に近い音楽なのだろう。世の中全体が、いま、「ストゥディウム」が支配的になりつつある傾向が強いようにも感じられる。こと音楽に限っても、決められた文化的コードが用意され、一般的な関心が向く類の経験が、輪を掛けて広がる時代である。だがそうであればこそ、ある作品なり表現の「細部」から「やってくる」経験を、確保すべきだと言えるのではないか。「プンクトゥム・アウディトゥス(Punctum Auditus)」としての即興音楽——。
バルトは「プンクトゥム」について、それを「時間」として考えることも『明るい部屋』の後半で主張している。すなわち一枚の写真から「それはそうなるだろうという未来」と「それはかつてあったという過去」を一度に読み取ること。音楽の場合、基本的にはそれそのものが時間と不即不離なため、単純に同一視することはできないが、少なくとも録音物を複製芸術の観点から写真のアナロジーで捉えることはできる。録音物に収められているものもまた、とりわけライヴ盤は「それはかつてあったという過去」である。同時にそこで行われたライヴは「それはそうなるだろうという未来」への予期を含むものでもある。後者はさらに時間が経過してから明確化する。少なくともここには、世代を違えた、日本と台湾の、4つの人生が交差した記録がある。その「過去」を聴き取る、現在を生きるま た別の人生が交わることによって、新たな「プンクトゥム」が聴き手を突き刺すことにもなるだろう。もしかしたらその経験が、さらなる交差、さらなる「プンクトゥム・アウディトゥス」を生み出す突端ともなるのかもしれない。
*ロラン・バルト『明るい部屋:写真についての覚書』(花輪光訳、みすず書房、1985年)
筆者:細田 成嗣 Narushi Hosoda
1989年生まれ。ライター、音楽批評。編著に『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(カンパニー社、2021年)。
謝明諺 Minyen Hsieh
サックス奏者 / 木管楽器奏者 / 作曲家 | Saxophonist / Composer
1981年台北生まれ。
19歳でプロとして演奏活動を始め、2010年ブリュッセル王立音楽院にて修士号取得。ジョン・ルオッコ、ジェレン・ヴァン・ヘルツィエールに師事。
卓越した即興演奏のスキルとクラッシックで学んだ豊かな音色により、ジャズ、ロック、フォーク、ヒップホップ、エレクトロニック、アヴァンギャルドから現代音楽まで、多様なジャンルで活躍。
台湾だけではなく、日本、香港、東南アジア、西ヨーロッパで頻繁にツアーを行う。
2012年台中サックスコンペティション優勝、台湾のグラミー賞と言われる金音創作獎にて金曲奨を2回、金音創作奨を7回受賞。
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山崎比呂志 Hiroshi Yamazaki
ドラマー /パーカッショニスト | Drummer / Percussionist
1940年東京生まれ。
1959年ジョージ川口&ビッグフォーのバンドボーイを経てプロデビュー。
高柳昌行、金井英人をリーダーとする「新世紀音楽研究所」が設立され、中牟礼貞則、稲葉国光、日野皓正、山下洋輔らと共に活動。
その後、阿部薫とのデュオでの活動や、高柳昌行「New Direction For the Arts」に参加、ドイツ メールス・ジャズフェスティバルへ出演など。以来、高柳昌行と20数年間を共にする。
現在は林栄一、井野信義、大友良英、今井和雄、広瀬淳二、纐纈雅代、須川崇志、永武幹子らと活動中。
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須川崇志 Takashi Sugawa
ベーシスト/チェリスト/作曲家 | Bassist / Cellist / Composer
群馬県伊勢崎市出身。
11歳の頃にチェロを弾き始め、18歳でコントラバスを始める。
2006年バークリー音楽大学を卒業。その直後に移住したニューヨークで菊地雅章氏に師事。
2009年に帰国後、辛島文雄トリオを経て日野皓正バンド(2010年〜2016年)に加入。
現在は自身主宰のトリオ、Banksia Trio(林正樹, 石若駿)をはじめ、渡辺貞夫カルテット、 峰厚介カルテット、本田珠也トリオ、八木美知依トリオ、 藤井郷子TOKYO TRIO、吉本章紘カルテット他多くのグループへ参加。
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Will update soon
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プンクトゥム・アウディトゥスとしての即興音楽
即興演奏のセッションが行われるとき、そこでは複数の人生が交差している。同じ一つのセッションであったとしても、ある人物にとっては日常の出来事に含まれるかもしれないし、ある人物にとっては非日常の滅多に起きることのない出来事かもしれない。これから開ける未来へ向けた出発点であるかもしれないし、過去の締め括りへ向けた総決算であるのかもしれない。それぞれの人物にとって、それぞれに異なる出来事として、同じ一つのセッションが存在している。それぞれに歩んできた異なる人生における、異なる位置に、同じ一つのセッションが存在している。いわば別々に走る複数の線が、偶然にも必然にもその日その場所で重なり合う ことで、交差する点を生み出すかのようだ。むろんそれを目撃する観客もまた、線の一つとなって交わることになる。
